とあるきっかけで、『スーホの白い馬』のページを久しぶりにひらく。[Library20260112]
「南部の故郷では木という木に
ヒカゲノカズラが垂れ下がる。
異様にも、記憶が手に手を取り合って
次から次へと彼の心の中を駆け巡る。」
(メルヴィル『南北戦争詩集』牧野有通監訳・宇野雅章・斎木郁乃・貞廣真紀共訳、小鳥遊書房)
ヘミングウェイの「兵士の故郷」を思い出しながら、故郷に戻っていく兵士たちを詠う、いくつかの詩にこころうたれる。メルヴィルがGuido Reniが好きで、ローマでAuroraを観ていたことを知る。[Library20251226]
◯ △ ⬜︎ . . .
「こうして⬜︎は群馬県立美術館、◯は北九州市立中央図書館、△は水戸芸術館タワーへと具現化していく。」
水戸で磯崎新展を観た翌日、杉本博司著『空間感』を再読する。[Library20260125]
I photograph what I do not wish to paint and I paint what I cannot photograph. ——Man Ray
(Susan Sontag, A Brief Anthology of Quotations [HOMAGE TO W.B.] , On Photography.)
ジム・ジャームッシュがインスタグラムに、去年METでのMan Ray: When Objects Dream展の図録を撮影して投稿した時、たぶんマン・レイのオブジェの物体感を出そうとして、切れた鎖 Broken Chain⛓️💥とボルトとナット Nut and Bolt🔩の絵文字を使っていた。[Library20260202]
すっかり忘れていた子どもの頃の愛読書を読み返したら、本の後ろのきき紙に、持ち主の名前と一緒に猫顔のイラストが描いてあった。
こうした〈蔵書票〉のほかにも、ありとあらゆる持ち物に、いつも同じ面ざしで微笑んでいる〈猫顔〉を、それもなかなか太めの油性のフェルトペンでもってたぶんスタンプを押すような気分で描いてあって、ひょっこり出てくる。チェシャ猫みたいに笑いかける。[Library20260222猫の日]
リー・ミラーの伝記映画「リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界Lee」。
ロードショーで見逃して気になっていた、2023年の映画。戦時中の回想の聴き手でリーの息子アントニー・ペンローズ役には、なぜか美術品盗難にまつわる映画に立て続けに出演している気がする、ジョシュ・オコナー。「墓泥棒と失われた女神La chimera」の役の印象があまりに強く、それがこの映画でも持続してしまう。
1945年、アメリカ軍の士官たちがミュンヘンで没収したばかりのナチス総統のアパートでくつろぐ中、リー・ミラーは、軍服を脱いでバスタブにいるセルフ・ポートレートを撮影することを思いつく。
この時の写真を初めて見たのはdOCUMENTA(13)だったことを、カタログで確認する。2012年の「ドクメンタ」主会場の、自然光の差しこむ半円形の室に展示されていた。映画のおかげで(パリ解放ののち、ダッハウで収容所内部を目撃した直後であるという)撮影前後の状況がリアルに感じられた。
「詩人の血」で石膏の彫像役を演じていたリー・ミラー、そのひとの傍に白色の磁器の小像が置かれていることで生じる奇妙さ。映画には、LIFE誌のカメラマンDavid E.Schermanがその小像(Rudolf Kaesbach作)を咄嗟に移動させるという〈演出〉の瞬時がある。[Library20260228]
積読にしていた辞書のようにぶ厚い一冊(Benjamin Moser, Suzan Sontag: Her Life and Work, 2019.)をIndexのほうからめくる。スーザン・ソンタグには、日本について書く計画があった(出版の契約までしていたらしい)ことを知る。そもそもそのような予定はたくさんあって、彼女がそのうち書くはずであったテーマは多数控えていたという。ちょうど別の本のなかでも、彼女が書くつもりでいたテクストについての言及を確認していたところ。どれも読んでみたかった。[Library20260310]
ちかごろ二冊目に読む、韓国の現代小説、チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』齋藤真理子訳(一冊目は、ハン・ガンの『ギリシャ語の時間』)。淡々と、カルテの形式を借りて、個人史を物語ってゆく小説。その客観的記述の中で、世界に共通体験がみいだされそうな、女性の社会での扱われかたをめぐるリアリズムと〈もやもや〉が、静かに浮かび上がってくる。その折々に抑えつけられてきた感情あるいは〈恨〉に、記録という、記憶の形が与えられてゆく。
小説を読みはじめた翌日、「いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年」展のちょうど最終日で、リニューアル後の横浜美術館を久しぶりに訪れた(グランドギャラリーに天井から自然光が差しこむようになってとても明るい)。日本の中の韓国/韓国の中の日本という視点が効いた、独特のキュレーションによる展覧会。ナムジュン・パイクの章を楽しみに出かけたものの、抽象美術のすばらしいセレクション、厳選された書簡・展覧会資料、特にさまざまな種類の記録映像が充実していて、飽きなかった。
初めて知る画家、曺良奎(チョ・ヤンギュ)による油彩画《マンホールB》(1958年)が力強かった。[Library20260322]
拡大された新潮文庫という外観の平野啓一郎著『三島由紀夫論』を捲りながら。学校帰りに流水書房や三省堂、青山ブックセンターなど近くの本屋さんに寄って雑誌と一緒に文庫を一冊買うという習慣があった十代を思い出す。その頃におのずと集まった三島由紀夫のミニマルな朱白の装丁の新潮文庫はけっこうな数になる(たしか『レター教室』などは例外で、ちくま文庫)。
母方の祖母の家の本棚に並んでいた時には、まるで布を染めたかのように硬紙に濃墨色の深々と浸み込んでいる〈背〉しか見ていなかった『豊饒の海』初版の函が、表紙にはくどい図柄を載せていたのを知ったのは、だいぶ後になってからのことだった。もし文庫がそんな重厚な装丁であったら、もしかしたら一冊も読むことがなかったのかもしれないと思うことしきり。[Library20260402]